技術者の、技術者による、技術者のための会社 株式会社ワット・コンサルティング

ダムと橋

建設技術部門 K.Mのルーツ
自分より長生きするものをつくりたい

K.Mのルーツ

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ルーツ:大学の授業で見学に行った建設中の「ダム」と「橋」

ルーツとの出会い
授業で見た「ダム」と「橋」。自分が死んでも残るものをつくりたい

大学は建設土木学科。授業で建設中の「ダム」と「橋」を見に行ったんですけど、これが決定的な経験でした。自分が死んでも残るもの、自分より長生きするものをつくりたい。しかも第一線で。その第一線の象徴が「ヘルメット」でした。だから、当時の私の目標は「ヘルメットをかぶって現場監督になる」こと。それからの就職活動は大変でした。どこの会社の説明会に行っても女性は私ひとりだけ。この業界はまだまだ女性には門戸を開いていない業界でした。面接でも相手にされないというよりは、いじられてボロボロ。それでも「現場に出られるのなら、どこの会社でもいいや」と思い、一心不乱に片っ端から受けて行き、設備系の会社に入れたんです。この会社にはすでに女性の先輩がいて、この方がまさに切り拓いた道でした。入社後も「何でも相談してね」と声を掛けて下さり、私にとっては今もこの業界での女性の活躍を切り拓く目標のような存在です。

初めてのステージ
「石の上にも3年」。やりたい仕事ができるという薄皮一枚の攻防戦

4月に入社して10ヵ月はひたすらCADでした。「夢のヘルメット」、現場までの道のりは遠い。しかも上司がひどい(笑)。本当にその上司以外は、人に恵まれた会社だったんですけど、その上司はひどかった。「何もできんのやから、掃除でもしとけ!」。怒られる理由がないのに怒られる。そう私の仕事は上司のストレスの発散対象になること。仕方ないですよね、自分は変えられても、他人は変えられない。上司の仕事の発散も仕事であると、自分に言い聞かせて乗り切りました。「石の上にも3年」と言いますが、3年はやらないとその仕事をわかったとは言えませんし、人にも何も言えません。「やりたい仕事はできているのだから」という薄皮一枚で、上司と、いや自分と戦っておりました。現場に出るまので10ヵ月間、みっちりCADをやったので、お陰様でCADに関しては自信がつきましたね。

授業で見た「ダム」と「橋」。自分が死んでも残るものをつくりたい

「石の上にも3年」。やりたい仕事ができるという薄皮一枚の攻防戦

転機
4年間で93ヵ国。持ち帰った写真は現地の建設現場の写真だらけ

晴れて現場に出ることが出来て3年が経過した頃、私の中にモヤモヤがありました。それは「アフリカ」と「南米」への思い。唐突に聞こえると思いますが、社会人4年目を迎え、それまで保留していた目標が再び目を覚ましたんです。世界をみてみたい。それは自分の人生設計にどうしても必要なこと。「石の上にも3年」が終わったところで、今度は仕事を保留して(辞めて)、世界へ旅立ちました。4年間で93ヵ国。そのうちアフリカ大陸が1年1ヵ月。南米が1年3ヵ月。現地の移動手段を使い、渡り歩きました。日本では考えられない移動手段…、ワゴン車で助手席に2名、後部座席に5名、車の屋根にヤギ(笑)。移動中に足元でヤギの子供が産まれたこともあります。日本に帰って来て笑ったのは、写真の多くが現地の建設現場の写真であること。足場は丸太、安全帯もヘルメットもない、道路から配管が飛び出している…etc 一々そんな光景を「あぶねぇ~」とか言いながら撮っていたんですね。やっぱりこの仕事が好きなんです。

ワットとの出会い
「6年はブランクのうちに入りませんよ」という言葉に肩の力が抜けた

日本に帰って来て、まだ仕事を探しているつもりもなかったのですが偶然インターネットでワット・コンサルティングの記事を見たんです。「研修充実。未経験でも目指せる施工管理」。未経験でも大丈夫なら、経験のある私は大丈夫なはず。記事を読んだ瞬間にメール応募していました。面接に行ってみると、いい空気。面接官も現場のことをよく理解されているし、仕事だけでなく生活も含めて個人のことをよく考えてくれるし、何より社内の空気が若い。今も思いますけど、言いたいことが言える風通しの良さはピカイチです(!)。すぐにお世話になることに決めました。面接で一番嬉しかったのは、(私は海外の前後を入れるとブランク6年ですが)「若くて6年は、ブランクのうちに入りませんよ」という言葉。肩の力が抜けて、軽くなったのをよく覚えています。あとは、女性であるということがハンデにならない空気がありましたね。

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