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テレビ

機電系技術部門 山本良亮のルーツ
メディアの主役。昭和家電の王様

山本良亮のルーツ

山本良亮のルーツ

ルーツ:学校から帰ってから夜寝るまで、いつも傍には「テレビ」があった

ルーツとの出会い
「オレ、テレビをつくりたいな」

高校3年生。進路を真剣に考えなくてはいけない時期です。学校の休み時間に友人が「山本は進路、どうする?」と私に訊きました。「オレ、テレビつくりたいな…」。それは突発的に出た言葉ですが、決して偶発的なものではありませんでした。子供の頃から、いつも傍にあったテレビ。高校時代も学校が終わって友人の家に集まれば、必ずテレビは点けっぱなし。生活の中心にはいつもテレビがあって、それを自分がつくれたらカッコいいと思ったのです。インターネットの普及率が大きく伸びた1995年は私の大学時代。私の高校時代は、まだ「昭和」の延長で、メディアとしても、家電製品としても、テレビは今とは違う圧倒的な存在でした。友人に話したことがひとつの宣言となり、自分の進路に大きな目標ができたわけです。その後、志望した大学にも入学でき、晴れて工学部に進学。3年生からのゼミは、電気電子を専攻しました。「テレビをつくる」という目標に着実に近づいていったのです。

初めてのステージ
朝から終業までのハンダ付け作業の日々

私の就職活動の時期は、就職氷河期。周囲には驚くほどの社数を「受けて、落ちる」という人もいましたが私はマイペースでした。「テレビをつくる」という目標を考えると受ける会社の数も限られますし、結果、数社受けたうちの技術派遣の会社に入り、大手電機メーカーで仕事をすることになりました。今も同じメーカーさんでお世話になっています。回路設計の部署に配属され、最初の1年はノイズを軽減するためのプリント基板の配線の改造が私の仕事でした。朝から終業まで、ひたすらハンダ付けの作業を行います。すごく集中するので1日が早い。嫌な仕事だとは思いませんでしたが一方で「自分は設計の仕事がしたいのに、いつまでハンダ付けの作業なんだろう」という思いもありました。今から思えば、下積みといえば、下積みの時代だったのだろうと思います。でも、やりたい仕事に着実に近づいているという事実はその下積みの時代にも頼もしいことでした。

「オレ、テレビをつくりたいな」

朝から終業までのハンダ付け作業の日々

転機
「30歳」を目前に生まれた疑問

入社2年目の頃から回路設計の方の手伝いというカタチで設計の本質に触れ、そして4年目についに「テレビをつくる」グループで回路設計に携わることができました。ひとつの目標を達成できたわけです。学生時代の目標も達成し、その後、知識と経験が着実に蓄えられていきました。7年目を迎えた頃、「30歳」という年齢が目前に迫り、ひとつの疑問が生まれました。「キャリアへの意識」。自分のスキルがどのくらいのものなのかを知りたいという思いです。一番わかりやすいモノサシが報酬。その頃、職場にワット・コンサルティングから来ている同僚がいました。ワットは技術者が立ち上げた会社で、経営陣も技術畑出身。技術者の目線でキャリアに対する報酬を考えてくれる。その話を聞いて、とても興味が湧きました。技術者は、技術で生計を立てるもの。技術に対して、正当な報酬がなければ、それはとても致命的なものです。自分のキャリアに対して、どのくらいの報酬が妥当であるのか確かめるためにもワットへ面接に行ってみることにしました。

ワットとの出会い
評価・報酬に対する透明性とフラットな社風

面接というよりも、イチ技術者同士の会話。堅苦しさなど、全然ありません。話に聞いていたとおり、経営陣も含め、全員が技術者出身なので現場感のある話ができます。私はこれまでやって来たこと、年数などをざっくばらんに話し、このくらいのキャリアなら、どのくらいの報酬が妥当なのかを訊いてみました。「だいたい、このくらいじゃないかな?」と提示された数字に私は驚きました。提示された数字の方が圧倒的に高いのです。新卒からずっと同じ会社に在籍し、比べる対象もないままに来たので、7年から8年の間に伸びるべき報酬が伸びないままであったことに気がついていなかったということでしょう。帰る頃には、ワットへの入社を心に決めていました。正当な報酬ももちろんその理由のひとつですが、その透明性とフラットな社風への安心感が気に入ったのです。それはワット特有のものであり、「雇われる」というよりも、「技術者集団である」という一体感がそのフラットさの理由であると思います。

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